すれすれ草 | 煩悩無計画学 Ⅰ

すれすれ草

街を歩いていて、綺麗な女性とすれ違い、ふと思いました。


「好み」というものは、一体どういうもので、どのような発生原理をもつのでしょうか。


まず、「好み」がどういうものかを簡単に分析すると、それは各個人がそれぞれにもつ琴線や欲望に基づいた、対象を受け入れられるかどうかの判断基準であると思います。

これの発生原理について少し考えてみれば、その人がこれまで生まれ育った環境と生の経緯こそが「好み」の決定因子の大部分ではないか、という仮説に容易に到達できます。
何故ならば、人は生まれた時は生きていくための動物的・本能的欲望(食べたい・排泄したい、など)しか持ち合わせていないと考えられるからです。

人が持つのは初めは本能的な欲望だけですが、そこからは否応なく大小様々な社会の中で生きて往くことが宿命付けられているために、その社会を通過していく過程で様々な欲望がインストールされていきます。経験を通して、様々な新しい(社会的な)欲望が発生していくのです。

とすると、最初に述べたように「好み」は欲望に基づいた判断基準でありますから、「好み」はその人のこれまでの経験から発生した欲望の情報によって構築されていると言えると思います。

簡単に図式化すれば、
ある環境の中での経験→新しい欲望の発生→嗜好性・判断基準の形成→「好み」
のようになります。


これを逆に利用すれば、人の経験を「好み」からある程度推測する事ができるでしょう。


では、これを証明するために、とりあえずは自分の例に照らして考えてみます。自分の「好み」の由来。


1.「オーパーイについて」

自分は形を最重要視しているのですが、これは恐らく、昔兄の部屋で発見したエロ本の影響がデカイと思われます。ドキドキしながら見た初めてのエロ本の中の、淫靡な格好をした女性。(確か全盛期の宝来みゆきだったかな?)
彼女のオパーイの曲線の美しさにいたく感激し、ため息が出た思い出があります。勿論、出たのはため息だけではありませんでしたが、そこら辺は自粛します。


2.「藍山みなみについて」

藍山みなみとは、AV女優の名前です。自分は彼女に言い得ぬ情欲をかきたてられるのですが、これもやはり過去の経験にモロに影響受けてます。
以前、仲良くなって恋人じみた行為をしながらも、結局性的な行為は一切できずに関係を終えた女性にソツクリなのです。叶わずに潰えると、永遠に欲望だけが膨らみ続けます。
藍山さんは、云わば自分の悲しい欲望のヴィーナスなのです。


3. 「肩書きについて」

これは世の殿方のほとんどが抱く欲望であると思いますが、いわゆるある社会的な肩書きをもった女性への偏愛は、自分も相当なものであります。
肩書きは社会の象徴であり、そこでは当然の如く性が隠蔽されています。
しかしながら、生活の上で彼女達と接する機会は多いのです。例えば、女教師、看護婦、スチュワーデス、銀行員、OL・・・。
告白すれば、自分はこうした女性と関係をもつという想像を幾度とく経験しました。こうした経験こそが、欲望に翼を与え、シチュエーションフェチという今の自分を形成しているのです。




以上、結局は自分の変態性を裏付ける要因にはやはりそれなりの経験があると分かりました。まあフェチっぷりを遺憾なく晒しただけに終わった感もありますが。ハハハ!

ハハハ。


ハハ・・・






・・・orz



タイトル原題:「徒然草」兼好法師