合コソ心理学入門 (上) | 煩悩無計画学 Ⅰ

合コソ心理学入門 (上)

桂坂を登りながら、こう考えた。 痴に働けばアレが立つ。 情に棹させば何か出る。 フェチを通せば窮屈だ。 とかく人の世は住みにくい。(※)


漱石を敬愛する一人の変態が、このようにふと思う訳です。


さて、このイントラネッツという時空自在な空間の、
ソシアルなネッツワーキングの中の、
更に辺境・辺境・偏狂な場所であるこの糞日記。


小生はここで、自分の女性に対する偏執狂的思想・妄想を度々ぶちまけ、数々の冷笑・侮蔑に邂逅して参りました。
しかし、小生にとってはこのような外聞に関する評価は、モーニング娘。のメンバーの進退と同じくらいにどうでも宜しい事であります。

そういう訳ですから、本日も恥を忘れ、ズボンがズリ下がってヘアーがポロリしている事も忘れ、歯にニラが引っかかっている事も忘れ、ただひたすらに、痴的なことを考察するのにいとまが無いのです。
低俗・変態・不健康、大いに結構。
風俗・SM・不感症、ちょっと無理。


曇天の空が広がる此処京都の、バカデミズム溢れる某研究室で、本日も小生は悶々としておりました。
しかし。
空に雷鳴が鳴り響いたその瞬間、古典的マンガの如く頭の豆電球に灯が灯り、一休さんよろしく鐘の音が鳴り響きました。


「合コン」とは何なのか!ガラガラピシャーン!(注:雷鳴)


人は何故、所謂「合コン」と呼ばれるものに参加するのでしょう。彼が「合コンしてよー」と友人にせがむとき、そしてその友人が「おれの連れが合コンしたがってるんだけどさー」とバイト先の女の子に話すとき、そしてその女の子が「ねー、合コンの話あるんだけど。よくなくない?」と数人のケバい御学友に話すとき、そこにはどのような心理が働き、そしてどのような心情が交錯するのか。


これは明らかにアインシュタインの一般相対性理論よりも、シュレディンガーの猫の話よりも、ギブソンの生態学的視覚論よりも、遥かに謎を含んだ大問題であると、わたくしこの様に考えるのであります。


小生が考える限りでは、合コンに参加するに至るには、三つの要素が必須であります。

[合コン参加の三要素]
1.孤独感
2.性欲
3.妄想癖

1について。
まずはこれについては、独り暮らしの現代人ならばほぼ誰もが潜在的に持っている感覚なので、説明する必要もないかも知れません。人は物理的に独りである場合、精神的に独りである場合、外部との強い結びつきを求めます。
これは、逆の状況を考えてみるとよく分かるでしょう。
例えば、もしあなたが家族や恋人、あるいは友達と住んでいる場合、他人(自分以外の人間という意味)と意思疎通を図りたいという欲求は希薄化され、あまり合コンに参加したいとは思わなくなるでしょう。
孤独感により、一種の急性愛情飢餓状態に陥る事が、合コンの能動的参加を促すのです。

具体的な経験に照らして考えてみてください。
例えば、学校や職場の仲間数人(異性含む)と打ち上げがあったとしましょう。
夜中には解散するつもりの飲み会が、途中で話す内容がなくなってもダラダラと帰らず居残ってしまう経験はないでしょうか?
または、飲み会のあと、帰宅し、無駄にパソコンをつけ、無心でエロ動画をダウソしてしまった経験はないでしょうか?
しかも先ほどまで飲み会で爽やかに接していた異性と似た女優さんの動画ばかりを敢えてセレクトしてしまった経験はないでしょうか?
そして三回ほど逝ってしまう経験はないでしょうか?


・・・ちょっと最後のほうは偏った例になってしまいましたが、気にしないで下さい。
ともかく、これらは間違いなくあなたの孤独感がそうさせているのです。




残り、[合コン参加の三要素]2の性欲と3の妄想癖についての考察は、次回「合コソ心理学入門(下)」に続く(かも)。



(※)夏目漱石「草枕」の冒頭、
「山道を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。 情に棹させば流される。 意地を通せば窮屈だ。 とかく人の世は住みにくい。」より盗用。