合コソ心理学入門 (下) | 煩悩無計画学 Ⅰ

合コソ心理学入門 (下)

2.性欲について。

これについては、殿方諸兄は自身のこれまでの経験を振り返ってみれば、おとなしく理解して頂けると思います。敢えて説明するならば、殿方諸兄は一滴の性欲なしに行動する事が生物学的に不可能である故、合コンに参加するのは極めて自然で健康的なのです。誠実な殿方ならば、この如何にも動物的な性質を自ら認め、理解しているはずです。

「自分は性欲を超越した」
とか、
「大人ならば理性で性欲をコントロールできるはず」

なんて仰る糞坊主がいたら、まずそいつは女の子を口説くために自分すら騙そうとする大嘘つきか、はたまた普段パソコンの前で嫌になるほど自慰行為に耽るせいで性欲が歪んでしまった哀れなオタクか、あるいはゲイか、そのいずれかであります。ともかく、そんな輩は何か歪んだバックグラウンドを持っているとまず疑ってかかって間違いありません。

さて、御婦人方は一般に殿方よりも性欲が少ないと言われています。表だって性的な欲求を披露する御婦人方も非常に稀です。
しかし、そんな御婦人とはいえ、ふとした瞬間に漠然とした人恋しさや寂しさ、抱擁されたいという衝動に駆られるはずです。それは単なる孤独感だという方が居られるかもしれませんが、そうした抱擁や繋がりたいという欲求の対象が異性である以上、それは立派な性欲です。殿方が抱く直接的な性欲とは少しカタチが異なるだけなのです。

健全な性欲は、合コンと容易に結びつきます。

「やれぬなら やれるまで待とう ホトトギス」

という、徳川家康的な考えでは、一向に性欲は解消されませんが、

「やれぬなら やらせてみせよう ホトトギス」
「やれぬなら やってしまえ! ホトトギス」

と、秀吉や信長ばりの態度ならば性欲は積極的に解消されます。

これにより生まれるのが合コンシステムズです。

現代社会では、一般に性欲というものが隠蔽され、それを他人に見られる事が恥とされ、また、うかつに露出しようものなら即お巡りさんがやって来ます。下手すればタイーホされてしまう始末。

そこで賢い現代人が考え出したのが合コンです。

異性と繋がりたいという性的欲求を、「友人の顔をたてるための飲み会」という一見合理的な理由で正当化できる巧妙な慣習として定着させる術として、合コンが開発されたのです。
云わばそれは道徳的な罪悪感や、社会的な批判から逃れるための隠れ蓑。
動物的欲求を、社会的な関係を維持したり新たに構築したりするためという高次な理由にすりかえてしまう事が出来る故に、大手を振って性欲解消のための決戦の場に出陣する事が可能になるのです。

以上、途中から自分でも何書いてるのか分からなくなってしまってましたが、合コンと性欲の関係についてでした。


長くなってきて、マンドクセくなってきたので、ここまでのクソ日記を暇に任せて呼んでしまった読者の皆さんには申し訳ないのですが、3については超特急ひかり号ばりの速さで書いてしまいます。




3.妄想癖について。

合コンというものは、初めての人であっても、たとえ達人であっても、永久に未知の領域を孕んでいます。一体どのような異性がそこに待ち受けているのか。
アメリカンドリームか、はたまたメキシカンスパイスか。
かの安藤忠雄氏はNHKテレビ講座でこう言いました。

「合コンに夢をみた。」(※)

そう、合コンに参加する異性を想像する事は、宝くじやトレジャーハンティング、あるいは無人島に埋められた徳川埋蔵金発掘の如き夢とロマンに満ち溢れているのです。

もしかしたら、運命の人が待っているかもしれない。。
そんな馬鹿げつつも純粋な、そして小便臭い幻想を、いつまでたっても抱かせるのが合コンです。
これがある故に、人はついつい合コンに参加してしまうのです。




これを読んでしまったあなたは、もう何故人が合コンなぞに参加するのか、理論的には完全にマスターしてしまったはずです。合コン心理学の学科は卒業です。


残り必要なのは、演習です。


従って次回からは、「合コソ心理学演習基礎」を開講(するかも)。
優秀な暇人の参加を待っています。
参加希望者は今すぐ5マン円を小生の口座に振り込んで欲しいところですが、ディアゴスティーニを始めとして創刊号だけは特別価格にすると相場が決まっているので、今回限り無料でやらせて頂きます。


・・というか何の事はない、自分が体を張って実際に体験した合コンの思い出話を、赤裸々に書いてみるだけの事なので、実際無意味です。
全くの無駄なのに何でこんな事してるのか自分でも分かりません。しかも僕はそんなに暇じゃないはず。。





(※)勿論嘘です。安藤氏担当のNHK講座は、「建築に夢をみた」でした。