煩悩無計画学 Ⅰ -2ページ目

惨事郎 (2) ~黎明篇~

本日はついにZou-K大SA(スクーリングアシスタント)のヤルバイト最終日でした。

社会人の皆さん、モツカレでした。

先生も乙カレー様でした。
(ちなみに、後から知ったのですが、講義をしていたのは「建築少年」創設メンバーのう○なみって人でした。)


やっぱ三日間も10時間近くぶっ通しでCAD教えると若干病みますね。将来は絶対CADオペなんぞやりたくないぞな。
講義内容はデ・スティルとかロシア構成主義の時代の作家の平面作品を立体化するみたいな感じでした。
普通。


とはいえ、自分にとってはやや特別な三日間なのでした。

そう、例のエイドリアーノさんです。

今日は彼女の御話の続きをしましょう。

・・・


実は初日に学生に自己紹介アンケートみたいなのを書いてもらってました。その紙は自分が回収して管理していたのですが、露骨に見ちゃうと覗き見してる気分になるので、普段自分はあまりそういうのを見ないようにしています。

しかし、今日は朝ちょっと仕事に余裕があったので、気になるアノ子(エイドリアソ)の秘密のアンケートをちらりと見てしまいました。



出身地:広島
現住所:香川
職業:販売・サービス業
趣味:製菓
この講義を履修した理由:CADを使えるようになって将来は転職したい!ので、CADがスムースに使えるようにこの講義で練習したいです。



ほー、そんな遠い所から、、、スゴイモチベーションだなあ。
しかも出身地と現住所のズレ具合が結構謎ダナア。

とか思いましたが、今日こそは声をかけようと腹をくくっていた自分としては、この時点で若干嫌な予感がしました。


さて、講義も始まり、自分はSAの仕事につきました。
といっても、基本は教室の一番後ろに座って、質問があれば指導するだけなので、楽天です。イーグルス。

ちなみにエイドリアソの席は一番後ろなので、自分の席は彼女の真後ろです。

椅子に座って、何気なくエイドリアソの横の椅子に目をやると、いつもとは違った大き目のカバンが鎮座しています。




この瞬間、自分は今日の運命の哀しさをを悟りました。
嫌な予感が的中したのです。




そう、恐らく彼女はこの講義が終わると同時に、香川に帰ってしまうのです。




バカー!カスー!ショウシンモノー!だから昨日声かければ良かったのに!
と、昨日の自分を三角木馬に乗せてムチでしばき倒したくなると同時に、時間の不可逆性について思考しました。

何とかタイムマシンを発明できないものか?(今から)

2秒後に無理と悟った後は、もう後悔の渦の中をひたすら漂うのみでした。


まあでも帰るの夜かもしんないじゃん。
せめてお茶くらい一緒に行けるかも。


そんな甘い妄想を抱きつつ、もし今日声かけて上手くいった時のために、必死でデートプランニングをしてみました。
あの店でお茶をして、そしてアノ店でご飯を食べて、最後は京都駅まで送ってあげよう。

こんな打算的な考え(妄想)に突き動かされた自分は、ニヤつきながら、短い昼休みを利用して家に車をとりに帰りました。車の中を掃除して、かける音楽まで構想を練りました。
いやあ、夢は広がるなあ。


しかし。午後の二回目の休憩時間にはもう、打算で積み上げられた壁はベルリンの壁の如くガラガラと崩れ去りました。


講義の休憩時間になった時、エイドリアソはおもむろにカバンの中からCD-Rを取り出しました。
「あの、作った作品のデータを家に持って帰りたいんですけど。。」
「ああ、いいですよ。」

CDバーナーが使えるパソコンは教室に一台しかないので、自分はそこにデータを運び、早速データCDを作り始めました。

横で画面を見つめていたエイドリアソはつぶやきました。

「今日、電車が間に合わないんで、講義が終わるよりちょっと早く帰らないといけないんです。先生はあんまり良いとは言ってなかったんですけど。今日まで、ありがとうございました。」


ドゥーン!!!(心の音)



「そ、そうですか。残念ですね。。」

自分はこの時、余程いっその事今日一緒にお茶したかった旨を言ってしまおうかと思いましたが、周りに生徒(オバハン)がいたため、無愛想な挨拶をするだけになってしまいました。



そして、講義が再開され、しばらくエイドリアソの後ろ姿を眺めていた自分は、焦りとともにペンを走らせました。


手紙て。中学生かいな、アンタ。しかも生まれてこの方、御婦人に手紙なんぞ渡した事ないやろうが、畜生め。

と、自分に突っ込みを入れながらも、ここは一つ、恥ずかしさを忘れて無心に思うままを書きました。

爽やかな文章書いて、エイドリアソの事ほめて、自分が怪しくない事を遠まわしに書いて、最後にしっかりと自分のメルアドも書いて、さあ、駄文は完成です。
アアー、いと恥ずかし。


自分は渡すタイミングをはかりました。
理想としては、早めに教室を出て行くエイドリアソに、忘れ物を届けるふりをして、軽いメッセージとともに外で渡すのがベストです。


講義(というか講評会)も終盤に差し掛かり、心なしか彼女もそわそわしています。
時間、大丈夫ですか?と聞くと、六時前まで大丈夫です。と答えました。講義は一応六時十分に終わる事になってます。

しかし、予定より若干早く、講義は5時45分に終了しました。あとは、授業アンケートのみです。
皆が黙々とアンケートを書く中、エイドリアソは2分くらいでさっとアンケートを済ませました。
見守っていた自分は、じゃあ渡しておきます、と言って最大限善人ぶり、エイドリアソからアンケートを受け取りました。

エイドリアソはかなり急いでいる様子です。
そのまま荷物を整理し、カバンに筆記用具を詰め込むと、小さい声で
「じゃあ、お疲れ様でした。」
と前にいる先生と自分に挨拶し、教室を飛び出していきました。

焦る自分。

たまらなくなって、自分もトイレに行くフリをして教室を出ました。教室は三階なのですが、自分が教室を出て下を見ると、もう一階を駆けて行くエイドリアソが見えます。


早っ!


もう無理かな、と思った瞬間、
自分の心の中にいる変な人(多分偉い人)が、女々しい自分に囁きました。



追え。



それを聞いた自分は、メロスより早く走りだしました。
なんじゃこの状況は。三流青春ドラマじゃんね!
という自分の鋭い突っ込みをかわしつつ、無心に走ります。
ポケットにはさっきの手紙。


100メートルくらい走ったところで追いついて、声をかけました。
「エイドリアソさん。」

彼女は止まりましたが、明らかに急いでいてテンパった顔をしています。

「これ、さっき渡すの忘れてたんですけど。」

自分は例の恥ブツを差し出しました。

「あっ、ありがとうございます。」

恐らく、講義の書類かと思ったのでしょう。
彼女はそう言うと、挨拶をしてまた全力ダッシュで駆けていきました。



終わった。何か知らんがやり遂げた。




自分は気恥ずかしい感情も忘れ、妙にスガスガしい気分になり、教室に戻りました。
で、無事SAの残りの仕事もこなし、帰途についたという訳です。


さみしいのぅー、切ないのぅー。
23にもなって何してんだかのぅー。
女の尻を追っかけるとはこの事かのぅー。


と思いつつも、
メールくるかな、
と若干の期待を隠せないのが今の状況です。



PS.この日記に関する苦情は一切受け付けません。悪しからず。

惨事郎(※) (1) ~邂逅篇~

本日は祇園祭りの宵山ですが、ダルがりの皆様方はいかがお過ごしでしょうか。
家でもんもん派でしょうか。それとも浴衣美女やチャラ男とぶいぶい言わせる派でしょうか。


ぶっちゃけどっちでもいいけど聞いてみました。



さて、小生はといえば、周りが浮かれる中ストイックにアルバイツに勤しんでました。
そう、今日から3日に渡り、京都zou-K大で行われる社会人向けCAD講座のSA(CADオペレーターみたいなもん)として朝から晩まで酷使されてしまうのです。

とはいえ、今日一日やってみて意外と楽珍イーグルスな仕事だったので拍子抜けしました。


祇園祭真っ只中のこの日程で来る社会人の生徒達のモチベーションもすごいですね。ストイックカソリックそのものです。

ところで、事前にマコンくんに聞かされていたのですが、やはり受講する生徒達の年齢層は幅広い。
恐らく自分と年齢が殆ど変わらないであろうオニイチャンや、リストラ目前の窓際族のハゲ課長みたいな人、そして普段はクーラー効いた部屋でアイス喰いながらワイドショー見てそうな有閑マダムまで・・。

自分は普段から女性運については恵まれたためしがないので、いくら事前にマコンくんに「結構若いお姉さんも来るよ」と言われても行くまでは全く期待してませんでした。


しかし。

いたのです。

エイドリアン(※2)が。


中谷美紀と深津絵里を足して3で割って若干解像度を下げたようなその風貌は、自分の琴線に触れるばかりか、きゃなり自分の壺太郎でした。キャベツ太郎。
そう、あの壺はいいものだったのです(マ・クベ)。


彼女は講義中の課題作品が思うように作れなかったのか、6時までの講義が終わって生徒が続々と帰っていく中、残って黙々と手直しをしていました。

自分は一応SAなので、学生が全員帰るまで終われません。


カチコチ、カチコチ・・・時計の秒針は時を刻み続けてます。


しばらくして気がつくと、教室にいるのは、自分と、エイドリアンと、もう一人の若者だけになっていました。



若者よ、はよ帰れ。



是非エイドリアンとお話したい自分は願いました。


できる事なら自然に仲良くなりたい自分としては今って実は結構チャンスぢゃんね!
などと妄想に耽っていると、若者が質問があると言ってきました。自分は簡単に教える風をして、今何の作業してんすか?と軽くプレッシャーをかけてみました。勿論、こんな遅くまで何してんじゃはよ帰れや、という意味です。

が、若者は極めて楽天的に、明日の予習をしていると答えました。



せんで良い。



要らんことせずに早く帰れやと思いつつも、結構熱心に教えてしまう自分にイラつきました。
エイドリアンに絡むなら今の内だ。何せ7時までしか教室が開放されてない。

焦った自分は、若者の質問に答えた後、質問ムードに便乗してエイドリアンにも早速話しかけました。

とはいえ、操作方法とかの事務的な会話では、間がもたず、二言三言のやり取りは即時に断たれてしまいました。
やたらと絡むのも不自然なので、自分はとりあえずその場を離れ、機材などの整理をしているフリをして期が熟すのを待ちました。
そして、ようやく若者は気が済んだらしく、イソイソと帰り支度を始めました。

若者:「では、お疲れ様でした。」

自分:「お疲れ様っすぁ!」

自分は思わずガススタでバイトするヤカラの如く満面の笑みで若者の帰りを見送りました。

期は熟した!
サア、エイドリアンと話して仲良くなろう!

自分はいざ出陣、いざ鎌倉と席を立ちました。御恩と奉公。


しかし、その時歴史は動いたのです。


悲しいかな、先生が最後の見回りに戻ってきてしまったのです!そして分かったようなツラをしてどうでも良くてロクでもない建築話をおっぱじめやがったのです!

へえ、へえ、と相槌を打ってパンク野郎ばりにヘッドバンギングしている内に、ついに7時を向かえてしまいました。

時計をちらりと見たエイドリアンは無情にも席を立ち、
「お疲れ様でした。」
とドアの向こうへと消えて行ってしまいましたとさ。



・・・


まあ明日、明後日とまた同じクラスでSAなのですが、これはどうしたものでしょうか。
自発的に女の子に声かけた事なんぞありませんが、今後のためにここはやはり奮起すべき局面なのでしょうか。


まあ最後の日の帰り際にダメもとでお茶誘ってみるとかも良いかもしれませんな。玉砕したらしたでもう二度と会う事はないやろし。





(※)タイトル原題:「三四郎」夏目漱石
(※2)映画「ロッキー」 見ろや。

合コソ心理学入門 (下)

2.性欲について。

これについては、殿方諸兄は自身のこれまでの経験を振り返ってみれば、おとなしく理解して頂けると思います。敢えて説明するならば、殿方諸兄は一滴の性欲なしに行動する事が生物学的に不可能である故、合コンに参加するのは極めて自然で健康的なのです。誠実な殿方ならば、この如何にも動物的な性質を自ら認め、理解しているはずです。

「自分は性欲を超越した」
とか、
「大人ならば理性で性欲をコントロールできるはず」

なんて仰る糞坊主がいたら、まずそいつは女の子を口説くために自分すら騙そうとする大嘘つきか、はたまた普段パソコンの前で嫌になるほど自慰行為に耽るせいで性欲が歪んでしまった哀れなオタクか、あるいはゲイか、そのいずれかであります。ともかく、そんな輩は何か歪んだバックグラウンドを持っているとまず疑ってかかって間違いありません。

さて、御婦人方は一般に殿方よりも性欲が少ないと言われています。表だって性的な欲求を披露する御婦人方も非常に稀です。
しかし、そんな御婦人とはいえ、ふとした瞬間に漠然とした人恋しさや寂しさ、抱擁されたいという衝動に駆られるはずです。それは単なる孤独感だという方が居られるかもしれませんが、そうした抱擁や繋がりたいという欲求の対象が異性である以上、それは立派な性欲です。殿方が抱く直接的な性欲とは少しカタチが異なるだけなのです。

健全な性欲は、合コンと容易に結びつきます。

「やれぬなら やれるまで待とう ホトトギス」

という、徳川家康的な考えでは、一向に性欲は解消されませんが、

「やれぬなら やらせてみせよう ホトトギス」
「やれぬなら やってしまえ! ホトトギス」

と、秀吉や信長ばりの態度ならば性欲は積極的に解消されます。

これにより生まれるのが合コンシステムズです。

現代社会では、一般に性欲というものが隠蔽され、それを他人に見られる事が恥とされ、また、うかつに露出しようものなら即お巡りさんがやって来ます。下手すればタイーホされてしまう始末。

そこで賢い現代人が考え出したのが合コンです。

異性と繋がりたいという性的欲求を、「友人の顔をたてるための飲み会」という一見合理的な理由で正当化できる巧妙な慣習として定着させる術として、合コンが開発されたのです。
云わばそれは道徳的な罪悪感や、社会的な批判から逃れるための隠れ蓑。
動物的欲求を、社会的な関係を維持したり新たに構築したりするためという高次な理由にすりかえてしまう事が出来る故に、大手を振って性欲解消のための決戦の場に出陣する事が可能になるのです。

以上、途中から自分でも何書いてるのか分からなくなってしまってましたが、合コンと性欲の関係についてでした。


長くなってきて、マンドクセくなってきたので、ここまでのクソ日記を暇に任せて呼んでしまった読者の皆さんには申し訳ないのですが、3については超特急ひかり号ばりの速さで書いてしまいます。




3.妄想癖について。

合コンというものは、初めての人であっても、たとえ達人であっても、永久に未知の領域を孕んでいます。一体どのような異性がそこに待ち受けているのか。
アメリカンドリームか、はたまたメキシカンスパイスか。
かの安藤忠雄氏はNHKテレビ講座でこう言いました。

「合コンに夢をみた。」(※)

そう、合コンに参加する異性を想像する事は、宝くじやトレジャーハンティング、あるいは無人島に埋められた徳川埋蔵金発掘の如き夢とロマンに満ち溢れているのです。

もしかしたら、運命の人が待っているかもしれない。。
そんな馬鹿げつつも純粋な、そして小便臭い幻想を、いつまでたっても抱かせるのが合コンです。
これがある故に、人はついつい合コンに参加してしまうのです。




これを読んでしまったあなたは、もう何故人が合コンなぞに参加するのか、理論的には完全にマスターしてしまったはずです。合コン心理学の学科は卒業です。


残り必要なのは、演習です。


従って次回からは、「合コソ心理学演習基礎」を開講(するかも)。
優秀な暇人の参加を待っています。
参加希望者は今すぐ5マン円を小生の口座に振り込んで欲しいところですが、ディアゴスティーニを始めとして創刊号だけは特別価格にすると相場が決まっているので、今回限り無料でやらせて頂きます。


・・というか何の事はない、自分が体を張って実際に体験した合コンの思い出話を、赤裸々に書いてみるだけの事なので、実際無意味です。
全くの無駄なのに何でこんな事してるのか自分でも分かりません。しかも僕はそんなに暇じゃないはず。。





(※)勿論嘘です。安藤氏担当のNHK講座は、「建築に夢をみた」でした。

合コソ心理学入門 (上)

桂坂を登りながら、こう考えた。 痴に働けばアレが立つ。 情に棹させば何か出る。 フェチを通せば窮屈だ。 とかく人の世は住みにくい。(※)


漱石を敬愛する一人の変態が、このようにふと思う訳です。


さて、このイントラネッツという時空自在な空間の、
ソシアルなネッツワーキングの中の、
更に辺境・辺境・偏狂な場所であるこの糞日記。


小生はここで、自分の女性に対する偏執狂的思想・妄想を度々ぶちまけ、数々の冷笑・侮蔑に邂逅して参りました。
しかし、小生にとってはこのような外聞に関する評価は、モーニング娘。のメンバーの進退と同じくらいにどうでも宜しい事であります。

そういう訳ですから、本日も恥を忘れ、ズボンがズリ下がってヘアーがポロリしている事も忘れ、歯にニラが引っかかっている事も忘れ、ただひたすらに、痴的なことを考察するのにいとまが無いのです。
低俗・変態・不健康、大いに結構。
風俗・SM・不感症、ちょっと無理。


曇天の空が広がる此処京都の、バカデミズム溢れる某研究室で、本日も小生は悶々としておりました。
しかし。
空に雷鳴が鳴り響いたその瞬間、古典的マンガの如く頭の豆電球に灯が灯り、一休さんよろしく鐘の音が鳴り響きました。


「合コン」とは何なのか!ガラガラピシャーン!(注:雷鳴)


人は何故、所謂「合コン」と呼ばれるものに参加するのでしょう。彼が「合コンしてよー」と友人にせがむとき、そしてその友人が「おれの連れが合コンしたがってるんだけどさー」とバイト先の女の子に話すとき、そしてその女の子が「ねー、合コンの話あるんだけど。よくなくない?」と数人のケバい御学友に話すとき、そこにはどのような心理が働き、そしてどのような心情が交錯するのか。


これは明らかにアインシュタインの一般相対性理論よりも、シュレディンガーの猫の話よりも、ギブソンの生態学的視覚論よりも、遥かに謎を含んだ大問題であると、わたくしこの様に考えるのであります。


小生が考える限りでは、合コンに参加するに至るには、三つの要素が必須であります。

[合コン参加の三要素]
1.孤独感
2.性欲
3.妄想癖

1について。
まずはこれについては、独り暮らしの現代人ならばほぼ誰もが潜在的に持っている感覚なので、説明する必要もないかも知れません。人は物理的に独りである場合、精神的に独りである場合、外部との強い結びつきを求めます。
これは、逆の状況を考えてみるとよく分かるでしょう。
例えば、もしあなたが家族や恋人、あるいは友達と住んでいる場合、他人(自分以外の人間という意味)と意思疎通を図りたいという欲求は希薄化され、あまり合コンに参加したいとは思わなくなるでしょう。
孤独感により、一種の急性愛情飢餓状態に陥る事が、合コンの能動的参加を促すのです。

具体的な経験に照らして考えてみてください。
例えば、学校や職場の仲間数人(異性含む)と打ち上げがあったとしましょう。
夜中には解散するつもりの飲み会が、途中で話す内容がなくなってもダラダラと帰らず居残ってしまう経験はないでしょうか?
または、飲み会のあと、帰宅し、無駄にパソコンをつけ、無心でエロ動画をダウソしてしまった経験はないでしょうか?
しかも先ほどまで飲み会で爽やかに接していた異性と似た女優さんの動画ばかりを敢えてセレクトしてしまった経験はないでしょうか?
そして三回ほど逝ってしまう経験はないでしょうか?


・・・ちょっと最後のほうは偏った例になってしまいましたが、気にしないで下さい。
ともかく、これらは間違いなくあなたの孤独感がそうさせているのです。




残り、[合コン参加の三要素]2の性欲と3の妄想癖についての考察は、次回「合コソ心理学入門(下)」に続く(かも)。



(※)夏目漱石「草枕」の冒頭、
「山道を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。 情に棹させば流される。 意地を通せば窮屈だ。 とかく人の世は住みにくい。」より盗用。

張りたいお腹

ブログ(http://ak-ak.ameblo.jp/ )の方で、

今日はこういう記事タイトルつけてみたんですが、
何か「蹴りたい背中」(綿矢りさ)からは
無限にパロディの可能性を感じました。


「泣きたいさなか」
「垂れないお腹」
「垂れないお乳」
「食べたいお肉」
「取れない手垢」
「曲げたいお鼻」
「勝ちたいオセロ」
「蹴りたいお馬鹿」
「しがないトサカ」
「しがない田中」
「冴えない田中」
「来れない田中」
「下痢さえ田中」
「萌えたい田中」
「懲りない田中」
「勝ちたい田中」
「逃げない田中」
「負けない田中」
「好きです田中」
「食えないおから」
「漏れないおなら」


・・・などなど。。


考えてるとどんどん発想が低脳になっていくのが分かりますね。



皆さんも良い案があればこっそりコメントして教えて下さい。(※)





(※)以前も俳句募集して、ほとんど自分しかコメントしていないという寒い事になってしまった(注:日記「漏れから」参照。)ので、今回はもう自作自演はやめにして、皆様方の善意を信じる事にします。






再び自作自演に陥るかと思われたこの記事に対し、意外にも数々の変態読者からの熱い作品が寄せられたのであった!



1.

うーん。
今の心境的に…



やめたい課題


無念。



>>返句

僕も課題中はいつも
「逃げたい課題」
「見えない未来」
「去りたいさなか」

そして課題終わると
「行きたい何処か」
「飲みたいウォッカ」
となります。

2.

「やりたいSANNA」

そらみんなやりたいわー
ってことをやり続ける便すら白いといわれる芋兄弟ユニットを指す

ダメ?


>>返句


さしずめ君は

「超えたい妹島」

といったところでしょうか。


3.

「あげたいモナカ・・・ 」

誰に?


>>返句

モナカシリーズも結構でてきそうですね。
「競りたいモナカ」
「干したいモナカ」



4.

「ケミカルおばば」

また思いついちゃったんで書きます。



>>返句

ケミカルシリーズもなかなか可能性を感じます。

「ケミカルめだか」
「ケミカル田中」

失われたオチを求めて(※)

なんだかなー。
テレビとか、なんだかなー。
見てても、なんだかなー。


と某阿藤の快さんみたいな心持になる昨今。

a  


このテレビのつまらなさは一体何なんでしょうか。まるで何度も見たエロ動画のように全く感興をそそられません。


考えられる原因は、二つ。

1.自分がひねくれてきたから。自身の内面的理由。
2.テレビの企画屋さんと、出演者があまりにも低脳だから。


理由1に関しては、ここで言及しても「アンタの事は知らんがな、アンタの勝手やがな」と反駁されるのは目に見えているので、軟弱者!(※2)とセイラさんにぶたれても敢えて触れません。

na1


では、理由2について考えてみましょうか。

まずは、報道系の番組について。あれはいけません。非常に危険な類の番組です。
彼等(滝川クリステル以外)は、「事実を客観的・中立的に世に伝えている」と、一見公平で理知的なツラをして堂々と情報を垂れ流しまくってますが、実際のところ、彼等(滝川クリステル以外)は大いなる偏見や宗教じみた懲悪観念、欺瞞に満ちた正義も同時に垂れ流しにしているのです。(ただし滝川クリステルを除く)
時には○○大学の何某とかいう、普段は象牙の塔にこもっている現実のげの字も知らないようなカビ臭い「権威」を引っ張りだしてきて、意見という謙虚な名のついた傲慢な偏見を語らせる。

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客観的であるかなんて事は、結局のところ誰にも判断できる事ではありません。正しさもそうです。(※3)


なのに、彼等自身はあたかも客観的態度の上で意見を語っていると盲信して、歪んだ正しさを導く。そうして、テレビの前でセンベイをかじっている奥様方や、社会に出た事もない御子様方、そして広い世界を知らない旦那様方たちはそうした欺瞞に満ちた信仰を容易に信じてしまい、いつのまにか欺瞞振興宗教「ますこみの光」の信者になってしまっているのです。


ああ、ファックとしか言い様がありません。
滝川クリステルはかわいいから許されるとしても。哀れです。



・・・ちょっと熱く語り過ぎました。オスマン。(帝国)


長くなってきたので、バラエティ批判は簡単にしておきます。

昨今のバラエティ番組がクソであるのは、ひとえに企画のくだらなさと、程度の低い出演者のおかげであります。
素人同然の、何の魅力ももたない子供がカメラの前でギャーギャー騒ぐ番組の、どこがどう面白いのか。テレビを90度傾けて見てもやはりその面白さは理解できません。若さと勢いだけが取り柄の頭悪そうな出演者を見るのは、もうウンザリです。
テレビを作る側の、センスとコモンセンスの欠如っプリが素直に伝わってきます。


ちょっと視点を変えれば、面白番組なんて、いくらでもできると思います。
以下は、軽い提案です。


提案1.ジャニーズオタクとハロプロオタクのみによる「真剣十代しゃべり場」。

一週間程度監禁し、無理やり話し合わせる。お互い全く話が噛み合わないところから出発し、最終的には多様な価値観を認めあうところまでの奇跡の過程を追うドキュメンタリー。 
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提案2.ニート集団のみによる、「世界ウルルンあいのり」。

働いたら負けと思ってるニート共はどうせ暇なので、彼等の中から男女数人をピックアップし、海外でバスツアーさせる企画。勿論、行く先々では地雷撤去や、不発弾回収など、社会活動やボランティアに従事。その中で生まれる社会奉仕する事の喜びと、共に働く仲間への愛情の芽生えを追うバラエティ。やはりカプールになると日本に帰るが、帰国後5年以内にバスツアーの費用を働いて返すという仕組みも設けて、ニート再発を防止する。その返済の様子もまたネタになる。

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提案3.「スーパー朝まで生ジョッキー」

朝まで政治・経済・社会について議論をするのであるが、熱湯に浸かっていた時間が長いほど多くコメントができるシステムが導入される。宮崎哲弥、小林よしのり、ホリエモンが浸かる時だけ、たけし軍団に押される。
司会の田原総一朗が毎回かぶりものを装着して出演する。 


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皆様方も糞放送に洗脳されないようにお気をつけて頂戴ね。




(※)タイトル原題:
「失われた時を求めて」マルセル・プルースト

(※2)軟弱者!:
某マンガにて、カイという非常に人間味溢れる登場人物が、エリート育ちの御嬢さん(セイラさん)の張り手を喰らいます。これに由来し、一般に女性から辱められる事、逆陵辱される事を広く指す言葉として普及し始めました。

(※3)客観性について:
皆様方が客観性の代表だと思われているであろう科学ですら、実は膨大な推測の集積でしかないのです。諸学問も結局は形而上のものに過ぎません。いわんや、地球の片隅の一小国の断片の地域にある矮小なテレビ局がふりかざす客観性なぞ、どこをどうして信ずれば良いのでしょう。養老孟子は、客観性は結局のところ信仰だと言っています。これはなかなか当たっていると思います。

関連記事メモ:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050607-00000039-zdn_lp-sci

族族ワンダーランド

日本人はよく「族」という言葉を使って、人をカテゴライズしたがる癖があります。

暴走族、ガングロ族、薔薇族、ヒルズ族・・・etc.

これらは、目に見える形での彼等の特徴を表したものに過ぎませんが、
もし、現代人の性格や行動原理にまで目を向けるならば、更に多様な族が
発生すると考えられます。

例えば、以下のように・・・。



『金本位族』

「お金」というパラメータが世の中と人生の全てを決定する絶対不変の要素であると考えている。
同種族間での共食いが生業であり、また幸せの源泉でもある。
成功という言葉を愛し、合理性を全ての行動の基準とする。
忙しい事がステータスの一つであり、また精神面での美徳でもある。
大して忙しい訳でもないのに自分は忙しいと信じきり、そうしてあくせくと行動する自分に酔いしれる事を何よりも好む。
論理至上主義で、物事を理詰めで考えて事ができるが、同時に、理詰めでしか思考できない。
小説も、演劇も、あらすじの緻密さと完成度の高さこそが議論の対象となる。
次に挙げる価値本意族がよりどころとする価値や幸せなども、最終的には金で手に入れる事ができると考える故に、自分達のほうが価値本意族より優位であるという意識がある。



『価値本位族』

精神面での幸せが人生の全てであると考え、それのよりどころとなる「価値」こそが最終的には他の全ての要素を凌駕すると考えている。
個々人がそれぞれ自分の信ずるところの「価値」を愛し、また、お互いのもつ「価値」を表面上認め合ってはいるものの、結局のところ他人の信ずるものに関しては全く興味がない。
お金に基づく行動原理の全てを非難し、蔑視する。同じ種族に属する者が金本位族と取引きしている姿を見た途端に軽蔑の眼差しを向けるが、自分が生活するために金本位族と取引する事は、自分の「価値」を守るためには不可抗力な事であるとして何の疑問も罪悪感も抱かない。
自分の信ずる崇高な「価値」は、たとえどんな大金でも手に入れる事ができないものであると信ずるが故に、自分達の方が金本位族より優位であるという意識がある。



『ナアナア族』

何事も、道を一本に絞って突き進むよりは、全てをバランス良く器用にこなす事を最大の目的とし、「信条をもたない事」を信条とする人々である。
二元論者を馬鹿にして楽しむ事が多い。
如何にスマートに生きるかが最大の関心事であり、何かを盲信するという事は最大の恥であり、美徳に反するダサい行為であるとみなす。
表面的には他人の考えの最大の理解者であるかのように振舞うが、常にそれを反面教師とするべく身構えており、自分以外は基本的に馬鹿であると信じている。
金や価値といった、行動原理となり得る具体的な目標物を常に変化させたり、時には全く設定させないことで飄々と生きる自分に酔う。




もっといろいろ考えられそうですね。

もし、他に皆さんが知っている「族」がいれば、
是非教えてください。

すれすれ草

街を歩いていて、綺麗な女性とすれ違い、ふと思いました。


「好み」というものは、一体どういうもので、どのような発生原理をもつのでしょうか。


まず、「好み」がどういうものかを簡単に分析すると、それは各個人がそれぞれにもつ琴線や欲望に基づいた、対象を受け入れられるかどうかの判断基準であると思います。

これの発生原理について少し考えてみれば、その人がこれまで生まれ育った環境と生の経緯こそが「好み」の決定因子の大部分ではないか、という仮説に容易に到達できます。
何故ならば、人は生まれた時は生きていくための動物的・本能的欲望(食べたい・排泄したい、など)しか持ち合わせていないと考えられるからです。

人が持つのは初めは本能的な欲望だけですが、そこからは否応なく大小様々な社会の中で生きて往くことが宿命付けられているために、その社会を通過していく過程で様々な欲望がインストールされていきます。経験を通して、様々な新しい(社会的な)欲望が発生していくのです。

とすると、最初に述べたように「好み」は欲望に基づいた判断基準でありますから、「好み」はその人のこれまでの経験から発生した欲望の情報によって構築されていると言えると思います。

簡単に図式化すれば、
ある環境の中での経験→新しい欲望の発生→嗜好性・判断基準の形成→「好み」
のようになります。


これを逆に利用すれば、人の経験を「好み」からある程度推測する事ができるでしょう。


では、これを証明するために、とりあえずは自分の例に照らして考えてみます。自分の「好み」の由来。


1.「オーパーイについて」

自分は形を最重要視しているのですが、これは恐らく、昔兄の部屋で発見したエロ本の影響がデカイと思われます。ドキドキしながら見た初めてのエロ本の中の、淫靡な格好をした女性。(確か全盛期の宝来みゆきだったかな?)
彼女のオパーイの曲線の美しさにいたく感激し、ため息が出た思い出があります。勿論、出たのはため息だけではありませんでしたが、そこら辺は自粛します。


2.「藍山みなみについて」

藍山みなみとは、AV女優の名前です。自分は彼女に言い得ぬ情欲をかきたてられるのですが、これもやはり過去の経験にモロに影響受けてます。
以前、仲良くなって恋人じみた行為をしながらも、結局性的な行為は一切できずに関係を終えた女性にソツクリなのです。叶わずに潰えると、永遠に欲望だけが膨らみ続けます。
藍山さんは、云わば自分の悲しい欲望のヴィーナスなのです。


3. 「肩書きについて」

これは世の殿方のほとんどが抱く欲望であると思いますが、いわゆるある社会的な肩書きをもった女性への偏愛は、自分も相当なものであります。
肩書きは社会の象徴であり、そこでは当然の如く性が隠蔽されています。
しかしながら、生活の上で彼女達と接する機会は多いのです。例えば、女教師、看護婦、スチュワーデス、銀行員、OL・・・。
告白すれば、自分はこうした女性と関係をもつという想像を幾度とく経験しました。こうした経験こそが、欲望に翼を与え、シチュエーションフェチという今の自分を形成しているのです。




以上、結局は自分の変態性を裏付ける要因にはやはりそれなりの経験があると分かりました。まあフェチっぷりを遺憾なく晒しただけに終わった感もありますが。ハハハ!

ハハハ。


ハハ・・・






・・・orz



タイトル原題:「徒然草」兼好法師

ミクシー・ドライバー

僕が生来女性とのコミュニケーションに長けてないばかりか、
縁を作る努力をしない事に関しては、
日々諸兄が軽侮する所であります。

そうした侮蔑に対し、頓として粛然の態をとり、
更には一端の不満足を感じない所が、
自分の最大の短所であり、また、桜ん坊たる所以である事は
常々嫌になるほど自覚しております。

性に関して横柄すれすれの鷹揚な態度を取り、
かつ呑気に暮らしているような不貞(且つD貞)
な自分でありますけれども、心の底を叩いてみれば、
どこか悲しい音がするものです。(※0)


思い起こせば、本日も若干の女性との邂逅がありました。



其の壱 . 某旅行代理店Hにて


 本日は、愈々来週に差し迫った支那国訪問(※1)に備え、早速某大手旅行代理店へと足を運んだのでした。

これは自分の観察に基づく推測なのですが、この店では接客に対しある明確な戦略があるようでした。その戦略とは、至極単純明快で、ただ男性客に対しては女性社員が対応し、女性客に対しては男性社員が接客にあたる、という云わばホスト倶楽部とキャバクラが合併したような巧い戦略です。


ここで、自分は流されるままに質問に答え、先方の戦略通り、とある女性社員に発券手続きをしてもらう事になりました。


其の女性の外見的特長を一言で表すとすると、例えばフジやアサヒTVの社会派美人キャスターのような、端整ながらも艶やかさの漂うお姉さん系カジュアルスーツ美人と表する事が出来ましょう。
このような人種は、自分の中で「丸ごとミルクレープ」と呼ばれ、世界の森羅万象の中で二番目にエロいものに位置付けられています。


まあそれはいいでしょう。


以前、欧州建築巡礼旅行に出かける際もこのお店で旅券を発行してもらったのですが、その際も綺麗なお姉さんに対応して頂いていた事もあり、この度のこの巡り逢わせも、当方としては意図通りとも言えなくはありませんでした。というか下心のみでこのお店に再来したと言っても勿論過言ではない所か、むしろ100%正解なのです。


そして自分は彼女の前の席を案内され、向き合って座る事と相成りました。
ここで耳を澄ますと、聞こえてくるのは「カントリーロード」ではなく、「マントリーモード」でした。簡単に言えば、スケベな歌です。

サア、そして愈々ドキドキ発券タイムが始まったのです。(妄想)

既にこれは脳内フィーリングカップルなのです。(凄い妄想)

互いの心を読みあう、一種の戦争が勃発してしまったのです。
(酷い妄想)


僕は颯爽と砂漠の銀狐ロンメル(※2)と化しました。
彼女はさしずめパットン将軍(※3)でしょうか。




・・・と、ここまで書いた所で、非常に疲れてきて
一刻の猶予も許さず布団にスライディングタックル
したくなってきたので、続きは明日書く事にでもしましょうか。

中途半端な前フリだけ書いておいて、僕も勿論気持ち悪いですが、こんなものを読んでしまった数少ない読者の方は更に気分を害されておられる事でしょう。
でもそんな事はもうどうでも良いくらい眠くなってきたので、惰眠を貪る事にします。


では、多分また明日。



次回は社会性を遵守するあまりに女性に失望し続ける憐れな桜ん坊心の動きを鋭く描写します。






タイトル原題:「タクシー・ドライバー」マーティン・スコセッシ

(※0)夏目漱石「我輩は猫である」の一文、『呑気と見える人々も、心の底を叩いてみれば、どこか悲しい音がする。』より盗用。
(※1)一昨日くらいの日記「気狂いドエロ」参照。
(※2)WWⅡ時のドイツ国防陸軍元帥。知将。その神出鬼没な作戦から敵軍に恐れられた。
(※3)ロンメルとアフリカ戦線で戦った鬼畜米帝軍の将軍

僕の野次さんの叱咤

そろそろ映画パロディネタのタイトル(※1)にも飽き飽きしてきましたし、数少ない読者の方々も呆れ顔でしょう。

今日で最後、今日で最後、と思いつつも、思い浮かばなかったら昨日の自分に負けた事になる、という強迫観念のもと、次々と頓痴奇なタイトルを考えてしまうのです。

ちなみに本日の次点候補生↓
(軽くフィクション、ムネオは判ってくれない、バッカ郎66、突然ホストのごとく、などなど。)
元ネタに関する質問・苦情などありましたら宜しくお願いします。


さあ本題に入ろうかしら。


本日はもう何から話していいやら・・・。


つって特に突飛な御話を用意してもないんです。
では昨日の僕と先生の間に起こったびんびん物語の件でも。
下ネタじゃないので御婦人方は安心して頂戴。


昨日は、この一ヶ月程かかりっきりだった御仏蘭西プロジェクト(※2)の発表の日でした。
研究室のゼミナアルの最後に、私達の発表の時間が与えられたのです。鉛を飲み込むようかの気持ちで前座の先輩諸兄の発表を聴きつつ、時にはモジモジと尿意を我慢しながら、時には居眠りをしてヨダレを垂らしながら、そして時には誰かが立てた放屁の音に耳をそばだてながら、私は出番を待ちました。


そして、諸兄の発表も終わり、サア私達の出番です!


私達は、おずおずと成果をムネオ先生の前に広げました。前日の日曜からずっと徹夜して印刷し、裁断し、貼り合せた8枚にも及ぶ横長プレゼンシート四部。


どうだ!このモジャモジャ頭めが!


私は内心この苦心作に自信があったのです。しかし、その自信と労苦は一言のもとに泡沫に帰せられました。


「四部も要らんがな、勿体無い。君等金持ちだねえ。」


皆が見やすいように、徹夜でエロサイトを見つつ四部刷った私に対し、その言葉は失礼な奥様そのものでした。更には、なけなしのお金を叩いて、ミドリ電気でトイレを借りるついでに印刷用紙も購入したというのに。


そこまではまあ許すとしましょう。


読まぬなら読んであげようホトトギスとばかりに熱く説明を始めた私達に対するムネオ師の反応は、私達の予想に反して、寺町のタニヤマムセンの店員の男性客に対する態度よりも冷たいものでした。


「書き過ぎや!」


私は一瞬、普段の私の性生活、すなわちマスをかきすぎている事を批判されているのかと思いましたが、どうやらそうではない、という事に3秒後に気が付きました。


そこからはもう、ジャパネット高田の商品宣伝の如く、あるいは亀の甲羅を踏み続けて無限1upし続けるマリオの如くしつこい叱咤を受け続けるハメになりました。
私はその時間を乙葉に土下座して結婚をせがむ藤井さんの姿を想像しながら耐えました。


その後、第二日赤病院精神科での診察が必要なくらい消沈した私達が、颯爽と駆け込んだのは、びっくりドンキーでした。

店内に足を踏み入れ、ふと音楽に耳を傾けると、


何と言う事でしょう。


往年のスキャットマン・ジョンさんの曲がかかっているではありませんか。

ピーパッポッパラッポ パッポッ パラッポー

店内に延々と響くスキャットマンジョンさんのスキャット。そして
それを聴きながら貪るハンバーグセット。

例えホリエモンが六本木ヒルズの高級レストランでいくら金を積んでも、こんな幸せな体験は到底できないでしょう。

これによりムネオ師搭乗B-29通称「エノラ・ゲイ」(※3)によって完全に荒野にされた私達の心は潤いを得、再び明日への行路を何とか見出したのです。





どうやら、いつも通り、否、いつも以上のクソ日記を書いてしまったようでゴメソ。
自分への憤り以上に、糞日記をここまで読んでしまった暇人諸兄の失った時間と労力に、心より哀悼の意を表します。




(※1)タイトル原題:「僕の伯父さんの休暇」ジャック・タチ
(※2)この夏、学校筋で参加させて頂く事になった仏蘭西での建築ワークショップ。これに参加するためには予備研究として、一つのプロジェクトを完成させる必要があったのです。ジョンムーベル氏との共同プロジェクトでした。

(※3)広島に原爆を投下した鬼畜米帝軍の長距離通常爆撃機の名前